大阪府カウンセリングルーム 陽だまり工房・あいむの「こころの絵にっき」

日々 感じることを絵とことばで綴る「こころの絵にっき」

【広島へ①】ただ忘れない…

大阪府カウンセリングルーム

陽だまり工房・あいむ

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街角カウンセラー

沖末めぐみのこころの絵にっき🍀

 

 

こんにちは😊

 

先日、私は初めて広島に行って参りました😊

 

この度のブログは

その時、広島に行って私が感じたことを

「いめ絵つづり」「いめ絵物語」と併せて

3回シリーズでお送りしたいと思います。

 

 

まずは

今回の体験の締めくくりとして最後に描いた絵を

最初にご紹介させていただきますネ😊🍀

 

 

ただ忘れない…

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人と会う約束があって行くことになった広島

 

待ち合わせしたのが

午後のわりと遅い時間だったので

「せっかく初めて広島に行くんだから」と

私は 早めに広島に向かい

1人で観光をしてみることに致しました。

 

でも何処に行こうか…と、しばらく思案

 

そして

 

原爆ドームと資料館に行ってみよう❗️

そう思い立ち

実際、行って参りました😊

 

 

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実は私この場所

「原爆」というものに恐ろしさを感じていて

これまで敢えて避けていたところなんですネ

 

何が「恐ろしい」と感じていたのか…それは

私の自覚としては「幽霊怖い😱」だったのです💦

 

けれど今回、初めて「原爆」の

痕跡や史実を目の当たりにしてみて

私が避けたかったのは、おそらく

そういうことではなかったのだろうなぁと

気づくに至りました…😅

 

まさか、こんなことにまでなるとは…と

自分でも驚きだったのですが💦

 

広島に行った当日、それから次の日の夜

私、動画を見ながら寝落ちするというのを

繰り返しました💦

ちゃんと寝る体勢に入るのが怖かったのだと

今、振り返って思います。

 

寝ようとしても眠れない…

そして色々なことを延々と考えてしまう…

それが怖かったのだと思います💦

 

3日目、4日目は、一応

寝る体勢に入って眠りにつきましたが

睡眠スコアはボロボロでした。

深い睡眠(ノンレム睡眠)が

全く足りていなかったのです。

熟睡できなくなっているということですネ

 

レム睡眠は普段より多いくらいだったので

今、思うとですが💦

無意識に、レム睡眠(夢)で

心の調整をしていたのかもしれません。

 

この度の「原爆」のことは 私にとって

そのくらいの衝撃だったんですね…。

 

どうして人が、同じ人に対して

こんな酷いことが出来るのだろうか…。

 

資料館の資料を見て周りながら私は

怖くて悲しい、悔しい思いが湧き上がりました。

 

原爆投下時、地表の温度は

摂氏3000〜4000と記されていました。

建物の鉄骨が曲がってしまうような温度です。

人体に耐えられるはずもない…。

 

おそらく

そんなことは投下する前に

分かっていたでしょう。

 

それなのに…原爆は投下された。

 

資料館や その周辺にある施設で見た

文章、写真や絵、展示品が

私の頭の中に 今でも渦巻いています。

 

投下時におった火傷で すぐに出来た水膨れ

その水膨れが壊れて 全身から垂れ下がった皮膚

全身の皮膚を引きずって歩く多くの人々のこと

 

あちこちから聞こえて来る

「痛い痛い」という うめき声

子どもの名前を叫ぶ声のこと

 

「靴下をもらえませんか?」

と言いながら 街を彷徨う

全身ボロボロの女性に 出会ったという証言

 

顔の皮膚が 溶けて ひっついて

目も鼻も 何も分からないような顔写真

 

着物の柄が

肌に焼きついてしまったという女性の写真

 

溶けた三輪車の展示

 

曲がった鉄筋の展示

 

壁に焼きついた人の影の展示

 

一命を取り留めても 放射能を浴びたために

頭髪が抜け落ち

歯茎や舌、全身から血を流し

数日後に多くの人達が

亡くなっていったという…。

 

そして

 

資料館の地面は

焼け尽くした街の残骸の上に盛り土をして

作ったものだという お話も聞きました。

 

地面の1〜1.5m下には

原爆で壊された街が

今でも横たわっているのです…。

 

 

資料館に入ったとき

私は、正面玄関のすぐ傍に

銅像が置かれていることに気づきました。

それは元市長さんの銅像でした。

 

私が銅像を眺めていると

ボランティアガイドのおじさんが

声をかけて下さり

私は そのおじさんに 銅像の説明を

聞かせていただきました。

 

おじさんは、そんなに凄惨な話を

されたわけではないのです。

 

でも、私はおじさんの話を聞いて

一番泣きそうになりました。

 

もう少しで涙がこぼれ落ちそうになりました。

 

その後に入った展示場で どんな資料を見ても

そんなふうにはならなかったのに…。

 

おじさんの話…

おじさんから伝わって来たもの…

それは、とても重かった…。

 

私は、その時に

おじさんと約束をしました。

資料館を見学した後

外の石碑の案内をしてもらうという約束。

 

でも、資料館の見学に時間がかかり過ぎて

石碑のボランティアガイドをお願いする時間は

なくなってしまいました。

 

…とても心残りでした。

 

だから私、もう一度、広島に行こうと思います。

 

あんなに怖くて避けていた広島に

私はもう一度行こうと決意しています。

 

おじさん達が生きておられる間に

もっともっと おじさんのお話を 思いを

たくさんきかせていただきたいのです。

 

私の中の整理のつかない感情(思い)は

まだ しばらく続きそうです。

きっと「それが大事」なのだと

私は そう思います。

 

誰かの心の傷つきを

自分の体験のように感じる私。

 

奢りのようにも聞こえるかもしれませんが

もしかしたら、これが

私の使命のようなものなのかもしれない

…そんな気もしています。

 

 

少し蛇足になるのかもしれませんが…。

 

資料館に向かう前、原爆ドームの前で

西洋人のグループが楽しそうに

記念撮影されているのを見かけました。

その時、私は

何だか嫌な気持ちが込み上げて来ました。

ここで はしゃぐのは違うだろう…。

腹立たしい…?悲しい…?虚しい…?

形容し難い嫌な気分でした。

 

今思うと、その感じが広島から帰った後も

私の中で ずっと続いているように思います。

 

よく分からないけれど「何で…?」と

ずっと 私は 誰か…何か…に

問い掛けているのです。

 

何だか泣きそうな気持ちが

ずっと続いています…。

 

だから、しばらく

 

私は、広島と…私自身と

向き合ってみたいと思っています。

 

 

今回のブログは、ここまで🍀

 

 

最初にも書いていましたが

広島のことについて

自分なりに心の整理が出来るまでの経緯を

3回に分けてお伝え出来ればと思っています。

宜しければお付き合い下さいませ✨

 

 

それでは、また😊

 

🍀 Megumi. O 🍀