大阪府カウンセリングルーム 陽だまり工房・あいむの「こころの絵にっき」

日々 感じることを絵とことばで綴る「こころの絵にっき」

お兄ちゃんへ…

沖末めぐみの「こころの絵にっき」


3/22(火)、兄が亡くなりました。

数年前

横浜で会社を経営していた兄は
アルコール依存症になりました。

父親の葬儀の時

久しぶりに帰って来た兄は
アルコールと
常に併用している状態で
歩くことも 喋ることも
ままならなくなっていました。

その後

兄は
アルコール依存症の専門病院に入院し
99%の人が抜け出せないと言われている
アルコール依存症から脱しました。

にも関わらず
数年後
兄は食道癌になりました。

たとえ
アルコールを摂取しなくなっても
ゆるやかに進行して行く
そんな病気なのです。

食堂を全摘出して 2年
去年の春

兄は
私たち妹には
「間違いだった」と
嘘をつきましたが
本当は
癌が転移していたそうです。
「年内 生きられるかどうか」
そう言われていたそうです。

そこから兄は
漢方薬治療に
熱心に取り組みました。

仕事で出張に行く時も
どんな時にも
漢方薬を煎じる為の機械を
持ち歩いていました。

何とか生き延びようと
努力していたのだと
そう思います。

そして秋
母が亡くなり

12月、母の四十九日の次の日
兄と姉と私は
一心寺さんに
母の納骨に行きました。


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その後

命のリミットだったのか
母の死の影響だったのか

兄は食べることが
出来なくなったそうです。

3月の初め
栄養失調で
兄は 横浜の病院に
緊急入院しました。

姉と私が 横浜へ駆けつけた時
兄は
信じられないくらい痩せていて
枕で支えていないと
首を骨折してしまうくらい
筋肉が落ちてしまっていました。

癌はリンパを通じて
上半身全域に
広がっているとのことでした。

胃は もちろん
心臓に貼りつくように大きな癌があり
脳にまで飛び散っている
とも言われました。

アルコール依存の影響で
肝硬変になっているのも
災いしているようでした。

「手の施しようがありません」
「命を一番伸ばす方法は何もしないことです」
と担当の医師に言われました。

それでも
兄は仕事のことを気にしていました。

死ぬ前日まで
私たちに
「体を起こしてくれ。
起き上がれさえしたら
自分で立つから」
と言いました。

全く そんな状態ではなかったのに…。

兄は言いました。
私たち妹に「一億円残すから」と。
仕事は「後、契約書にサインするだけなんや」と。

兄にとっては
それが どうしても
心残りだったのでしょうネ

私は兄に尋ねました。
「契約書のサイン
私たちが代わりにすることは
出来へんの?」

すると兄はハッとしたように
「出来る」と答えました。

本当は
そんな簡単な話では
なかったのだと思います。

けれど
その時の兄は
そう答えたのです。

「そうしたら安心出来るんやんな?」
私が言うと
兄は瞳を輝かせて頷きました。

「じゃあ、そうしよう!」
私が兄の手を強く握ると
兄は嬉しそうに
「身内がおったんやぁ」と呟き
微笑みました。

その後
痛み止めが効いたのか
兄は眠りにつきました。

それまで
痛みがあって
夜も眠れていなかったそうです。

その夜、姉と2人
兄の様子を見に 病室を訪ねましたが
兄は静かに眠っていて
目を覚ますことはありませんでした。

それから

朝になって

それでも兄は
2度と目覚めることは
ありませんでした。



下矢印兄の病室に飾って貰おうと
私が描いて持って行った絵です。


お兄ちゃんへ…

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兄は
妹2人の お兄ちゃんだったから
ずっと甘えるのを
我慢していたように思うのです。

ホントは母に
褒めて欲しくて
独り占めしたくて
仕方なかったんじゃないかなぁはてなマーク

だから あんなに
頑張っていたんじゃないかなぁはてなマーク

そう思って描いた絵です。


けど 実はネ

兄は 私より ずっと ずっと
絵を描くのが上手だったんですヨ
漫画家を目指していたくらい。


アニメを観るのも大好きで
そっくりな絵を描いては
私に見せてくれました。

大人になっても
昔のアニメグッズを集めたりして
所謂オタクだったのかも爆笑

宇宙好きで
大きな天体望遠鏡持っていて
自宅の窓から星を観ていました。
私も大きな木星(はてなマーク)を
観せて貰った覚えがあります。

兄は SFも好きで
星新一の小説をたくさん持っていて
小さい私に
よく読み聞かせてくれました。
(当時の私には あまり理解出来ない
内容だったのですけどネあせる)


兄の人生

もちろん
こんなふうに幸せなことばかりでは
なかったのだと思います。

若い頃から
心を病んでいた部分があり
兄に近い存在だった私は
その影響で
心を病んだ面があります。

兄と私は
良い面ばかりではない
複雑な関係だったのだと
私は思っています。

そのことはネ

また いつか
もう少し
私の心の整理がついたときに
書きたいと思いますが

とにかく

兄の葬儀の時に
私が感じていたのは

お兄ちゃんがいないと
寂しいなぁということでした。

私が泣いた理由は

志半ばで命を落とした兄が
可哀想だからとか
何も出来なかった自分に
腹が立つとか
兄が居ないと困るからとか

そんなことでは
ありませんでした。

もう兄と話すこと出来ない
もう兄の顔を見ることが出来ない
もう兄の声が聞けない
それが
とてつもなく
寂しく悲しかった。

純粋に そう思って涙が出た
そんな自分を
嬉しく思えた私でした。


通夜式、告別式には
兄の友人や
兄の会社関係の方も
来て下さいました。

その時
兄が どんなに周りの方に
信頼されていたのか
どんな関係を築いていたのか
そんなことを
知ることも出来ました。

兄の会社は
バブルの崩壊が切っ掛けで
上手くいかなくなり
そのことで
会社を潰したのだと
私は そう理解していました。

けれど
そうではなかったことを
昔から兄と関わりのある方が
教えて下さいました。

兄は頑張っていたのです。

兄が バブルで調子に乗っていたわけでも
兄のせいで会社が潰れたわけでも
なかったのです。
兄は兄なりに頑張っていたのです。

「運が悪かったんです」
その方は
そう言って下さいました。

兄のことを知る機会を
与えて貰えて本当に良かったと
そう思いました。



私にとって 兄は 凄い人。

絵を描くのが上手くて

私の知らないことを
何でも知っている人

ちょっと変わった私の発想を
「面白いなぁ」と
笑って褒めてくれる
私の良き理解者

夫の葬儀の時
父を亡くして
泣いている末っ子と
それを庇って泣く私
そんな2人をいっぺんに
力強く抱きしめて
「俺が守るから」と
言ってくれた人

妹に心配をかけまいと
1人で病気と闘い続けた人

やっぱり 兄は 凄い人です。

もう兄の体はなくなったけれど

体という箱が なくなった分
兄の心は自由になれたのだと
私は そう思います。

体があっても
世界中を飛び回っていた兄だけれど

これからは
もっと自由に飛び回れるよネ

そして

私たちが困っていたら
きっと いつでも
飛んで来てくれるよネ

私は今
これまで以上に
兄を身近に
そして
心強く感じています。

生まれ変わることが
あるのだとしたら
また会いたいなぁ

きっと会えるよネ

またネ
お兄ちゃんクローバー



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クローバー Megumi.O クローバー