母なる木
街角カウンセラー
沖末めぐみの「こころの絵にっき」
昨日、一昨日 (11月2、3日)
私は姉と一緒に高野山に行って参りました。
良い季節ということもあり
高野山へ向かう電車は平日にも関わらず
ほぼ 席が埋まっているような状態でした。
そこから
奥の院へ向かうバスに乗ったのですが
そちらは本気で超満員‼︎
金髪の外国人の方が多いことに
ビックリ致しました (´⊙ω⊙`)
高野山って 西洋の方に 人気なんですネ〜
それはともかく
私たちの目的というのがですネ
実は、観光…ではなくて (^^;
父母兄それから夫の納骨の下見だったんですよネ
父母のお墓は
兄が「絶対に自分が立てるから」と
言っていたので 待っておりましたが
残念ながら それは叶わず
兄も他界してしまいました。
夫のお墓は
裁判が終わってからと
思っていたので
同じく まだ手付かずで…。
いつも お世話になっている
大阪にある真言宗のお寺「大絋寺」の
住職さまの お勧めもあり
永代供養をお願いすることに致しました。
姉と二人
その下見に行って来たというわけなんですネ
持明院の宿坊に泊まらせていただいたのですが
この宿坊
ホントお寺とは思えないくらい
とっても快適なところでしたヨ〜(*^◯^*)
山が目の前に見えましたヨ〜
もちろん精進料理なので
お肉やお魚は入っていませんが
目にも美しく
お味もバラエティにとんでいて
満腹感たっぷり
満足満足
大浴場で手足を伸ばして
お風呂にも入れたし
ホント快適に 宿泊 出来ましたヨ
そして 次の日は
朝のお勤め (お経をきかせて貰い、お焼香もしましたヨ) の後
大絋寺の住職さまも来て下さって
案内していただきました。
奥の院の山門を入るとネ
まず感じるのが冷やっとした空気
身が引き締まるのを感じました
そのまま足を進めて行くと
誰もが知っている有名人のお墓が
ズラッと両脇に立ち並び
見渡す限り
山の上の方にまで
大昔に建てられたような お墓が
たくさんありました。
高く聳える木々や
長い年月を経た お墓には
真緑の苔が生えていて
歴史の重み深みを感じました。
ちなみに 高野山は
宗派に関係なく どんな人でも
供養していただけるそうでネ
キリスト教のお墓まで
あるんだそうですヨ
三英傑の お墓もあるそうです。
(見たわけじゃなくて
住職さまのお話によるとですが)
納骨堂の前で
手を合わせたのですが
住職さまが般若心経を
唱えて下さり
おかげさまで
本格的な お参りが出来ました。
本堂近くは撮影禁止だったので
お参りの後
山門近くで記念撮影を致しましたヨ
なのだそうです。
高野山の上から流れて来る山水は
本当に本当に冷たくて
辛い行なのだそうですヨ
その後は
住職さまの自家用車で
連れて行っていただきました。
紅葉は、まだ早かったのですが
見渡す限りの山、山
本当に綺麗で
大きな自然に包み込まれるような
そんな感じが致しました
ドライブの後は
地元直産の乾物や果物などの
お土産までいただき
南海の最寄り駅まで
車で送っていただいて
帰路につきました。
住職さま
何から何まで お世話になり
本当に ありがとうございました
m(_ _)m
それからそれから
実は、私ネ
その夜に もう一つ用があったんですヨ
それが
次男のバースデーパーティ
次男の誕生日は11月1日だったのですが
この日から 長男の彼女が
お泊りに来ることになっていたので
パーティを
この日にすることにしたんですヨ
会場は
チーズフォンデュのお店
Dining Cafe Dai
夫が生きていたら…
きっと
次男と一緒に お酒が呑むことを
とっても喜んだだろうなぁとか
長男の彼女も一緒に食事なんて
夫なら
めっちゃ照れただろうなぁとか
色んなことを想像して
ニヤケてしまいましたヨ
自宅に帰ってからは
さらに
長男と彼女が買って来てくれた
ケーキで お祝い
次男&末っ子ノリノリですぅ
色んなこと盛り沢山で
慌ただしい二日間ではありましたが
でもネ
どこにいて
何をしていても
私、今、笑っちゃうくらい
幸せを感じるんですよネ
高野山で ご一緒させてもらう中で
住職さまが おっしゃいました。
坊主の修行は大変だけれど
それでも
「生きる」ということに比べれば
何てことはない、と。
生きるということの方が余程 大変な修行なのだ、と。
それを聞いたとき
私、思ったんですよネ…。
私の人生
ホントに色んなことが
たくさん たくさんありました。
(誰でもだとは思いますが)
それでも 私なりに
一生懸命 生き抜いて来たんですよネ
悲しいこと
寂しいこと
虚しいこと
腹立たしいことも
い〜っぱいありました。
心理学の勉強を始めてからの私は
それまで 見ないふりをして
やり過ごして来た
自分の中の そんな嫌な思いにも
目を向けるようになりました。
自分の思いにしっかり目を向ける
そんなトレーニングを積んだからこそ
今、私は しっかり幸せというものも
感じられるのではないかと
思うんですネ
つまり修行を積んだから
今の幸せがあるのではないかと
思うわけです。
そこまでは
もしかしたら
住職さまと同じような
発想なのかなぁと思います。
でも、ここから先が
私は少し違うふうに感じるんですよネ
修行なんて言うと
辛いばかりのイメージじゃないですか
けれど
辛い、悲しい、寂しい、腹が立つ
そんな嫌な感情だって
生きているからこそ
感じられるんですよネ
そんなふうに思うとネ
ネガティヴな感情さえ
ああ…生きてるんだなって
嬉しくなって
何だか愛しく思えたりする
そんな今日この頃の私なのです
それだとネ
修行自体も楽しみながら
でも、そうすることで
ただ何となく
目の前で起こっただけの「体験」を
しっかり自分の「経験」として
落とし込み
そんなふうに体験のやり直し
生き直しをすることで
人生が充実し始める。
何かステキなことばかりに
思えて来ませんか
皆さんは どんなふうに
思われますでしょうかネ
最後に
私の高野山のイメージ画をどうぞ
母なる木