大阪府カウンセリングルーム 陽だまり工房・あいむの「こころの絵にっき」

日々 感じることを絵とことばで綴る「こころの絵にっき」

ぼくの青い鳥

枚方市カウンセリングルーム
陽だまり工房・あいむ
 
街角カウンセラー
沖末めぐみの「こころの絵にっき」
 
今日は
境界線についてのセミナーや
HSPの講座を受講して
今の私が感じることなどを
書かせて&描かせていただきたいと
思います。
 
長くなりますが
宜しければ お付き合い下さいませネ
(*^◯^*)
 
 
 
ずいぶん前になりますが
私がカウンセラーの勉強を始めた頃
先輩がおっしゃっていたことがあります。
 
学びというのは
何処で学ぶかではなく
何を学ぶかなのよ…って。
 
今 その言葉を しみじみ実感している私
 
ホントにそうなんですよネ
 
何処に行っても
たくさんの学びがあり
それがまた不思議なことに
全て連動しているように感じます。
 
私が自分の課題に向けて
アンテナを伸ばしているから
自然に 連動するものを
拾い上げているだけなのかもしれませんが (^^;
 
 
先日、私
人と人との心の境界線についての
セミナーを受講して来ました。
 
この間 ブログで紹介させていただいた
      アートセラピーの講座とは別物です
      立て続けに 同じようなテーマの
      セミナーに出会う辺りが
      学びが連動しているって
      感じるポイントなんですよネ
 
そのセミナーの中で
 
私が とっさに 目の前の人に対して
謙ってしまうこと
 
そういう関係でいなければ
相手に攻撃されるような気がしてしまうこと
 
そして
 
その根底に流れる私の恐怖心などに
気がつきました
 
もちろんネ
 
「嫌われる勇気」が
流行り言葉になっていたように
人に嫌われることを恐れる人は
一般的に たくさん おられるし
 
私が人の機嫌を取ろうとする その奥にも
同じ恐れの気持ちがあるということは
理屈では分かっておりました。
 
けれど この度
それが やっと実感を伴ったんですよネ (^^;
 
私、怖いんだ…って。
 
 
亡くなった私の母は
「人の役に立たなければ
自分に生きる価値はない」
そんな信念を強く持っている人でした。
 
その信念があるから
誰よりも自分が
他者に必要とされることを望んでいたし
 
自分の周りの人が
自分以上に他人に必要とされることを
決して好みませんでした。
 
自分が一番じゃないと
不安だったんでしょうネ
そのくらい
自己肯定感の低い人だったのだと思います。
 
そんな母は
私が「私は何も出来ません」という
態度でいる限りは
いつも私を助けてくれる
優しい母でありました。
 
けれど
私が 他の人に
認められるようなことをすると
途端に 母の態度は一転
びっくりするような冷たい言葉を
投げつけてきました。
(たぶん自覚はなく)
 
小さい私は
親の庇護なしで生きられるわけもなく
母に嫌われたり
攻撃されたりしないように
出来ることも出来ないふりをし
自分を守って生き続けて来ました。
 
その癖は 根底から 身につき
そのうちに
何故そんなことをするのかということも
その癖の根底に恐怖心があるということさえ
自分で見えないように
しまいこんでしまったんですネ
 
こういう やり方が 往々にして
私達の生きづらさを生み出してしまいます。
 
知らないうちに繰り返す
やめられない「パターン」を
作り出すんですネ
 
(それが生き辛さに繋がっている場合)
それを解消するためには
根底にある 隠れた気持ちに目を向け
それをしっかり認め、感じ切ることで
過去の傷、痛みを終わらせる。
そうすることが早道なんですネ
 
けれど
 
辛過ぎるから見たくなくて
自分を守るために
自分自身に見えないように隠した気持ち
そこに自力で向き合うというのは
とても難しいことです。
 
だから
そのためにカウンセリングがあるんですよネ
 
ということで
 
今回 私が気づいた件に関しましては
私、カウンセリングを受けることに致しましたヨ
 
こんなふうにネ
 
カウンセラーは 常に
自分のメンテナンスを心掛けております。
それが仕事のうちなのですよネ (^^;
( 残念ながら みんなが みんな
やっているわけではありませんが  )
 
 
ところで
それが 境界線と どう繋がるの
と疑問を持たれた方も
おられるかもしれませんよネ (^^;
 
それが  実はあるんですネ
 
私が母や他の人の機嫌を取ろうとすること
それが 相手の境界を踏み越えることなんです。
 
相手の感情は 相手のもの
相手の責任の範囲なのです。
 
なのに 私は
相手の感情の責任を自分が背負おうとする。
 
それは 相手の領域に踏み込むということです。
 
また
母のしていたことは
自分の感情の責任を 自分で負おうとせず
自分に嫌な感情が起こらないよう
私を自分の思うように動かそうとした。
 
それも もちろん 相手の領域に踏み込む行為
境界を踏み越える行為ということなんですよネ
 
ちょっと ややこしい お話になっちゃいましたが
これが 所謂 共依存の関係ということです。
 
共依存の関係は
お互いの境界線がない状態。
ある意味
侵害し合っている関係なんですネ
 
一緒にいると
嫌な気持ちになることが多いのに
お互いに 相手の存在があることで
自分を成り立たせているから
決して離れられない。
 
アルコール依存の夫と その妻や
DVをする側と される側の関係などが
代表的な共依存関係なんですネ
 
共依存の関係は 偽物の愛情とも言われていて
一緒にいても
決して 心が満たされることはありません。
 
それどころか
交流分析で言う「心理ゲーム 」
(関わる人が みんな嫌な思いをするゲーム)を
果てしなく続けてしまうんですね。
 
そのゲームを終わらせるためには
ゲーム盤から降りるしかない…
そう言われています。
 
では、どうやって降りるのか…。
 
それは
 
そんなことを続けてまでも
相手を必要としなければならない
そんな自分の気持ち(傷つき)と向き合うこと
認めること
その傷つきや感情を癒すこと
 
そうすれば
そんな関係を続ける必要がなくなり
やっと そこで
ゲーム盤から降りることができるのです。
 
相手との境界線を持つ
相手との適度な距離を保つためには
やっぱり
自分の気持ち(感情)と向き合う必要が
あるということなんですネ
 
私がカウンセリングで
恐怖の感情と向き合うことは
境界線の課題に
向き合うということでもあるんですよネ
 
 
その境界線のセミナーの少し前になりますが
 
私、HSP (敏感過ぎる人) に向けての講座にも
参加して参りました。
 
その時にも 実は 私
境界線のことを思い浮かべていたんですネ
 
HSPは 普通の人なら感じないような
細かな情報を受け取ってしまう人のことです。
それが HSPの人の特質なんですネ
 
その特質のために
多くの人が集まるような場所に行くと
所謂「空気を読む」ということを
やり過ぎてしまって
クタクタに疲労したりするんです。
 
私も その特質を大いに持っていて
それを自覚もしています。
 
私が その辛い状態から
抜け出せた切っ掛けは
カウンセリングを受けたことでした。
 
同じHSPでも
少しずつ状態の違いはあるようですが
私の場合は
常に 相手の気持ちが 私の中に
勝手に流れ込んで来るような状態に
陥っていました。
 
自分の感情と他人の感情の
区別がつかないくらい
他人の感情を
知らないうちに受け取っていたんですネ
 
そこに気づいたのも
カウンセリングを受けた時でした。
 
私は自分の感情を知っているつもりでした。
怒り、悲しみ、恐怖、喜び
全て 馴染みのある感情でしたしネ
 
けれど カウンセリングの時
「その時、あなたは どう感じましたか
と訊かれ
私の心の中から何も出て来ない
「空っぽ」という体験をしました。
 
そこで 初めて
私は 自分の感情を分かっていなかったんだ…
ということに気づきました。
 
じゃあ 今まで感じていたのは
一体 何だったのだろう
 
…そう。
 
私は 目の前の人の感情を
感じ取っていただけだったんです。
それも
自分のものと区別出来ないくらい
リアルに感じ取っていたんですネ
 
そんな状態だから
私は 常に 相手の感情に
振り回されていました。
 
しんどいに決まっていますよネ (^^;
 
そこから 脱出 出来たのが
カウンセリングのおかげでした。
 
カウンセリングの中で
私は 少しずつ 自分の気持ちに目を向け
少しずつ 少しずつ
自分自身で自分の感情を
感じ取れるようになっていきました。
 
また そうなることで
自分の感情と他人の感情の区別が
つくようになったいったのです。
 
それから10年以上…。
 
やっと 私は 自分の気持ち(感情)を
軸にして生きるというのが
どういうことなのかということが
分かるようになりました。
 
その経緯は 要するに
 
先ほど お話ししていた
自分と相手との心の境界線を築くための
経緯だったのです。
 
 
ここで
私が 今朝 描いた絵を ご紹介
 
 
 
ぼくの青い鳥
 
{FC2195AC-6BBB-4A7E-AEE6-04E3948C17C3}
 
 
最初から
構図が思い浮かんで描く場合もあるのですが
今回は 黄色い人影だけが思い浮かんで
そこに描きたいものを足していったら
こんな感じになりましたぁニコニコ
 
まだまだ青い鳥を
探し求めているのでしょうネ…私 あせる

でも、捕まえようしていると言うより
手を振って見送っているような
そんな感じに見えませんかはてなマーク
 
幸せを 無理矢理 捕まえて
鳥かごに繋ぎとめようとしたって
それは無理。
だって幸せは形あるものではないから…。
 
常々 私は そんなふうに
思っているから
絵に現れたのかもしれませんネ ニコニコ
 
 
人と人との境界線を築く
それは
お互いに精神的に自律するということ。
 
自分で自分を尊重し
だからこそ
相手のことも尊重できる。
 
そんなふうにお互いを尊重し
本当の意味で対等であるために
私は 心の境界線が
必要なのだと思っています。
 
お互いが 自分の足で立った上での
温かい関わり
それが本当の「愛」なのではないかと
私は思っています。
 
不安にかられて
青い鳥の羽ばたきを邪魔するような
関係ではなく
青い鳥が 自由に羽ばたくのを
温かく見守っていられる
そんな人であるために
私は これからも 学び
自分を磨いていきたいと思いますクローバー
 
 
またまた長文になってしまいましたが
最後まで お付き合い
ありがとうございましたクローバー
 
 
 
 
クローバー Megumi.O クローバー