大阪府カウンセリングルーム 陽だまり工房・あいむの「こころの絵にっき」

日々 感じることを絵とことばで綴る「こころの絵にっき」

感じすぎる目

沖末めぐみの「こころの絵にっき」
 
先日のブログでは
(タイトル「ヒカリをかんじる」)
HSPについて書き&描きました
 
で、その続き…と言うか
 
むしろ
 
実は このことの方が
HSPより先に
出会っていたものなのであります。
 
でもネ
 
何だか妙に 自分的に 気が進まないものがあって
このことを なかなかブログに
載せる気にはなれませんでした。
 
前置きが長いのも そのせいなんですが…(^^;
 
 
その言葉との出会いは
もう かれこれ 1年くらい前になりましょうか。
 
ことの始まりは ある方に
エンパスって知ってる」と 訊かれたこと。
 
私には 全く聞き覚えのない 言葉でありました。
 
その方は
「簡単に言うとエンパスとは
共感し過ぎる人のこと」
とだけ おっしゃって
後は何も言われませんでした。
 
その方
意味のないことを
わざわざ言うような方ではないので
私、気になって
その言葉をネットで調べてみました。
 
すると
え ?これって?と
引っかかる部分が盛りだくさん (´⊙ω⊙`)
 
私 もっと詳しく 知りたくなって
そのことについて書かれている本を
早速 購入致しました。
 
それが これ  (*^^*)
 
 
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エンパスにも 自己診断テストのようなものが
載せられておりました。
(HSPにもありましたが)
 
質問項目は15
 
そして最後に
上記の質問に対して◯が一つ以上あれば、おそらく あなたは生まれながらのエンパスです。
と書かれてありました。
 
いやいやあせる 1つってあせる
 
1つめの質問なんて
 
魅力的な人に会うと、その人のようになりたいと感じる。
ですヨ
 
そんなん よく聞く話やし
誰でも思うんちゃうんはてなマークにひひあせる
と思いませんかはてなマーク
 
ま、日本人は 5人に1人が
エンパスらしいので
私が
よく聞く話なのでははてなマーク
当たり前でははてなマーク
と思っても
不思議ではありませんけどネ
 
ご興味のある方は
この本を読んでみて下さいネ
あなたも もしかしたら
エンパスと呼ばれる人かもですヨニコニコ
 
 
お話を進めますネ
 
エンパスには
大きく6つのタイプがあるそうです。
 
身体合一型
相手の身体に起きたことを、自分の身体で起きているように感じる。
 
身体直感型
相手の身体に起きたことが直感的に分かる。
 
感情合一型
相手の感情を自分のことのように感じる。
 
感情直感型
相手の感情が直感的に分かる。
 
知的自己変容型
相手の思考プロセスを自分のことのように体験する。
 
霊的合一型
相手のスピリットとつながり、内面を深く理解することができる。
 
などであります。
 
 
私が
これ もしかしてっ!!と思ったのは
感情直感型の説明を読んだ時です。
 
本当は感じてもいないのに、人の気持ちが分かったように振る舞う人を見ると、感情直感型の人は うんざりします。密かに笑ってしまうこともあります。
(本文を要約してますビックリマーク)
 
これぞ
私が ずっと ずっと 長い間
悩んでいたことなのですヨ!!
 
私の言葉で表現すると
「嘘くさい人」
そんな人の様子に
私は耐えられないのです。
…小さい頃から。
 
私が幼稚園に上がる前
くらいの頃のことですが
母と近所のおばさんが
世間話をしていました。
その時のおばさんの様子を見て
私は言いました。
「おばちゃん、怒ってんのに、何で笑うのはてなマーク
母は慌てて私を黙らせ
その後 私は母に
「人を傷つけるようなこと言いなビックリマーク
と怒られてしまいました。
 
私は只
自分に見えることを
率直に言っただけで
人を傷つけるつもりなんて
全くありませんでした。
 
…それなのに。
 
それから私は
何を言うことが良いことなのか
何を言うことが悪いことなのか
それが分からなくなって
自分から話すということを
恐れるようになりました。
 
そんなふうに
私は子どもの頃から
人の裏腹な態度
本音と建前
そういうものが
同時に見えてしまっていたのです。
 
 
感じすぎる目
 
 
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そんなものが見えるせいでネ
 
私、本当に苦労したのですヨあせる
 
たいてい人は
表裏の裏の部分に
ネガティヴなものをしまっています。
 
人と上手く関わろうと思えば
そうなるのが普通ですよネ
ポジティブなものは
他人に受け入れられやすいし
わざわざ隠す必要なんて
ありませんから。
 
ということは
 
多くの人には見えなくて
私に見えるものは
人のネガティヴな面
ということになるのですヨ
 
つまり
 
私が
自分に見えることを
正直に話すと
悪口ばかり言う人ガーン
ということになってしまうのですネ
 
だから言えない。
 
でもネ
 
たとえば
ネガティヴの中でも
その中身に悪意を感じた時は
本当に悩みます。
 
みんなに伝えた方が
いいのではないかと思うけれど
その時点では
誰も その人のことを
そんなふうに見ていないし
だからこそ
関係も上手く行っているのです。
余計なことを言って
関係を悪くさせたら
私の方が
みんなの輪をかき乱す
厄介な人ということに
なってしまいます。
 
で、黙っていると
 
そのうち
その人に傷つけられる人が
出て来たりして
上手く行っていたはずの関係が
崩壊するという結末が起きたりする。
 
そういうことを
幾度か目にしました。
 
そうなると
知っていたのに止めなかった
自分が悪かったのではないかと
私は自分を責めることになります。
 
 
違うパターンで言うと
 
私に見えることを
身近な人に伝えて
それなのに
それを信じて貰えなくて…
 
私の言っていることは
間違っていないビックリマーク
 
と 意地になって
証明しようとしたりもしました
 
それって何をしたのかと言うと
 
要するに
 
私が 見えるものを打ち明けた人に
あの人は
こんなに裏腹で嫌な人なんだビックリマーク
一生懸命 言い続けたわけです。
 
それって
…やっぱり悪口ですよネあせる
 
自分で自分のことを
なんて醜いヤツだと
そう思っているのに
その時の私は
自分を抑えられませんでした しょぼん
 
そのくらい 私は
自分が どこか おかしいんじゃないかと
不安だったのです。
自分の感じることに
自信が持てなかったのですネ
 
自分に見えるものが
間違っているとしたら
私は「おかしい人」ということなるビックリマーク
自分のことを
そんなふうにしか思えなくて…。
 
だから必死で
身近な人に自分の正しさを
証明しようとした。
分かって貰おうとしたのです。
 
未熟ではありますが
健気でもありますネ…私ったら。
 
 
さらに お話を進めますが。
 
心理学の理論の中に
投影とか投射とかいう
考え方があってネ
 
簡単に説明すると
 
自分の心の中にあるもの
(自分が見たくない気持ちなど)を
他人が持っているものだと認識する。
自分の心を
他人に写して見るということですが。
そうすることで
自分を守ろうとする
心の防衛機能のことなのですネ
 
それを習ってから
私は 余計に
自分を責めるようになりました。
 
私が 人にネガティヴなものを見るのは
自分の中にそういうものが
あるからなのでははてなマークはてなマーク
と、そう思ったのです。
 
私の心は まだまだ歪んでいる。
そんな自分自身を改善すれば
私の他人を見る見え方も変わるはず。
そんなふうに思って
私は
カウンセリングを何度も
受け続けました。
 
 
でもネ
 
そんなことを
いくらやっても無駄でした。
 
どんなに
カウンセリングを受けて
自分自身の心の整理をしてみても
やっぱり
見えるものは見えるし
感じるものは感じたのです。
 
人には
自分の感じることを
大切にして下さい。
…なんてことを言いながら
当の私が 自分の感じることも
自分自身のことも
全く信じていなかった
否定していた
ということですよネあせる
 
 
エンパスというものを知ってからネ
 
私の そんなジレンマが
やっと解消できたように思います。
 
人の心の表裏を感じ取る
それが私の特性だったのだと
只 そう思えた それだけで
 
私は
こんなことを感じる自分は
どこか おかしいんだ
と、自分を否定しなくなりました。
 
そしたらネ
 
無理に他人に分かって貰おうと
躍起になることも
 
自分の感じていることを
否定したいがために
ネガティヴなものを発している人に
(と私が感じる人に)
わざわざ自分から
寄って行くなんてことも
(そんなこともしておりましたヨ…私あせる)
 
しなくなったんですよネ
 
私の感じることが
絶対 正しいのかどうか
実は それは 今でも
半信半疑なんですヨ
 
それでも、いいかぁと
私は思えたんです。
だって
私が そう感じるんだから
それで いいじゃありませんか。
 
もしも
私が誰かの悪意を感じるのなら
私が近づかなければいいのです。
 
それを
他の誰かに強要する必要なんて
ないですよネ
 
きっとネ
 
そんなふうに感じない人にとっては
それは悪意ではないのだと思うのですヨ
 
その人が発する その波長に
合うか合わないか
人と人との関係って
そうやって
成り立っているもの
なのではないでしょうか。
 
私にとってのネガティヴが
みんなにとってのネガティヴだとは
限らない。
 
みんな自分の感じるままに
自分の求めるものを求めて
人と関わっている。
 
それを
どうこうなんて
誰にも言う権利はありません。
 
私は、そう思いました。
 
それからネ
 
たとえ 私が前もって
何かの危険を
感じていたからといって
その後、その通りのことが
起こるかどうかなんて
分からないですよネ
…先のことは誰にも分からない。
 
だから
忠告しなかったことを
私が悪気に感じる理由なんて
どこにも なかったんだと
いうふうにも 私は思えました。
 
 
エンパスというものを知って
私は自分のことを
前より少し理解でき
前より少し自信を持てたように
思うのです。
 
自分に自信を持つことで
前 以上に
しっかり1人で立てるように
なったのかもしれません。
 
自分に自信がないうちは
誰かに認めて貰わないと
自分が存在すること自体
不安で不安で
居ても立ってもいられなかった。
 
でも
自分は これでいいんだって
1人で立った その途端
 
自分は自分
人は人
それぞれでいいよネって
 
他人と自分との
心の境界線がひけたように
思うのですよネ
 
この境界線が
実は
「心の自律」のキーワードでも
あるのですヨビックリマーク
 
 
はなれて見える全体
 
 
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人を少し離れて
見られるようになるとネ
 
強烈に矛盾した人を見ても
そこまで
圧倒されるようなことは
なくなりました。
 
決して心地よくはないけれどあせる
そういうもの(人)なんだなぁと
ある意味 ちっちゃく思える分
全体が見えるようになってネ
 
逃げるも自由
そういう人と分かった上で
関わるも自由
 
私が選べばいい。
 
そう思えると
ホント前より楽になりました。
 
これが
エンパスというもの
そして
その中でも感情直感型というものが
あるというのを知って
私が感じていることです。
 
 
エンパス感情合一型についても
私の思うことを
書きたかったのですが
 
あまりにも長くなるので
また次回にしますビックリマーク
(今でも十分 長いっあせる)
 
 
 
追記ですビックリマーク
 
誤解のないように付け足しますが
ネガティヴなものを
持っていない人なんて
私を含め いないと 私は思いますビックリマーク
(少なくとも私は見たことないあせる)
他人を攻撃するほどの悪意となると
ない人もいるのかなぁとは
思いますがあせる
 
ネガティヴは
あって当然だと私は思っていますビックリマーク
 
念のための補足でしたニコニコ
 
 
 
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